創業者・楠本二郎が横浜で誕生
楠本化成は創業者・楠本二郎の挑戦から始まった。上京後に塗料雑貨店や東戸商店で経験を積み、100年の礎を築いた。
歴史と展望
第1章 創業期(1926〜1956)
1899
楠本化成は創業者・楠本二郎の挑戦から始まった。上京後に塗料雑貨店や東戸商店で経験を積み、100年の礎を築いた。
1926
神田・鎌倉町で楠本商店を創業。日本理化学工業・垣見氏との縁から大口取引を得て成長の転機を迎えた。
1939
商品ラベルに採用された亀のデザインは、現在の企業シンボルである海亀と直接の関係はないものの、不思議な縁を感じさせる。
1944
戦時統合で東日本酒精塗料の設立に参加。一時休業を経たが、業界とのつながりが戦後成長の土台となった。
1946
1948
株式会社楠本商店(資本金20万)へ改組。栗原新社長が商社経験と機動力ある営業で事業拡大を力強く牽引した。
1952
英文カタログの翻訳や市場開拓に挑み、熱硬化性樹脂分野の拡大につなげた。
1955
代理店化で多様な樹脂を扱えるようになり、利益率も向上。原料樹脂供給へ発展し事業基盤を強化した。
1956
葛飾工場で印刷用ゲルワニス製造を開始。取得した土地に倉庫や社宅を整備。ホーロー製の反応釜を使用していた。
初の社員旅行を実施。以後30年続く恒例行事となり、社員の結束と成長期の勢いを象徴した。
第2章 拡大期(1957~1989)
1957
大阪出張所を開設し全国展開を開始。東京に次ぐ大市場への進出が全国供給体制づくりの第一歩となった。
1959
1960
1961
自社ビル建設を進め事業基盤を強化。営業・製造・財務を担う3名の役員体制と不動産戦略、資金調達が成長を支えた。
1962
「商店」から「楠本株式会社」へ改称。事業拡大に対応し、本格的な拡大期の幕開けとなった。
埼玉県越谷市に新工場を開設。水害に悩む葛飾工場に代わる本格製造拠点として整備された。
1963
自社添加剤の商標は「分散」を意味する“disper”と、売れ行きの良い語尾“ロン”を組み合わせて「ディスパロン」に決定。英語商標は当初「DISPARON」としたが、発音調整や商標審査を経て「DISPARLON」に確定。商標取得の経験は、知的財産の重要性を学ぶ契機となった。
1964
競合に先んじて渡米し特許使用権を取得、主力商品となるチクソトロピック剤により利益を確保。知財の重要性を示す出来事となった。
1965
1968
1969
1972
不動産部門と化成品部門を分離し楠本化成を設立。添加剤製造に特化した体制を整えた。
「化成」は「2種以上の物質が一つに化合して別の物質に成る現象」を意味し、添加剤の製造販売を行う当社の業務内容を想起させる社名となった。
1973
新分野の環境試験器事業に参入し、「エタック」ブランドを立ち上げて新たな柱を育てた。
エタック(ETAC)は、環境(Environmental)・試験(Testing)・装置(Apparatus)・会社(Company)の頭文字からとった造語。
1974
1975
1978
1979
研究所併設の新製造拠点として「4200-20」や「NS-30」の生産を開始し、需要増に対応し事業成長を支えた。
東京板橋区から埼玉東松山に移設。研究・製造・販売体制を整えてエタック事業を本格展開した。
1980
1981
社員旅行先での発表は拍手で迎えられた。この年の「ディスパロン」販売量が3,000トンを達成。
「ハイフレックス」発売に合わせ、東松山工場を増設し、技術課を増員。環境試験器の企画・開発と標準化を進め、量産体制を整備した。
1983
草加工場内の研究所を移転し、設備を拡充。分析機器や電子顕微鏡を導入し研究体制を強化した。
米国KING INDUSTRIES(キング社)との総代理店契約で海外展開を開始。法規対応を進めながら販路を広げた。
業界初のデジタル制御により、温度計・湿度計の外付けや手作業の記録が不要となり、測定値の自動表示で省力化と操作性向上を実現した。
1984
草加工場を増築し、生産設備や制御システムを強化。増産・省力化・品質安定を進めた。1985年には管理棟が竣工。
1985
1985年に日本総代理店となり、NACURE商標登録を経て緊密なパートナー関係を築いた。
1986
児玉工場を開設して量産体制を強化。高精度検査で主力シリーズを生産し、後に東松山工場を統合した。
1987
業界初の産業機器部門大賞を受賞。デザインが性能の一部とされた時代に、製品のデザイン性を評価するGマークが評価された。
1988
キング社との提携を機に欧州へ販路を拡大し、世界市場への進出を実現した。
1989
第3章 飛躍期(1990~2005)
1990
欧米・欧州で代理店網を拡大し、市場理解と技術力を重視した提携で継続的な海外展開を実現した。
TDK向け成形ビジネス推進の中でダイワ工業と提携、現在も軟膏容器の成形委託先として連携している。
1991
欧米・欧州で代理店網を拡大し、市場理解と技術力を重視した提携で継続的な海外展開を実現した。
越谷市野球連盟3部で準優勝後、1992年に2部へ昇格し同年も準優勝。さらに1995年には1部リーグ昇格を達成した。
1992
1990年代は好業績を背景にクラブ活動が活発化。社員交流の象徴として社内活性化に寄与した。
1993
東海3県での電子計測器・試験器の営業窓口にとどまらず、設計・製造や受託試験へ事業を拡大しながら好業績を維持している。
1994
秋田市内からダイワ工業およびTDK関連企業のある現在のにかほ市への訪問が増え移転、さらにダイワ工業から勧められ同社社内に移転した。
1990年代、韓国・台湾で代理店契約を締結。トップ同士の信頼を背景に東アジア展開を進めた。
塗料業界初の展示会「ペイントショー」に出展し、高い注目の中でPR効果を得るとともに、展示会運営の経験を積んだ。
自動車メーカーからの依頼を契機に受託試験事業を開始。試験所拡充と専業会社設立で事業を広げた。
多様な温湿度環境で絶縁抵抗の劣化を連続測定する評価システムを発売し、メーカーの需要に応えて大きな反響を得て、後継機も継続販売されている。
1995
販売増で生産能力が逼迫する中、新たな生産拠点として茨城県神栖市に鹿島工場を開設した。
アスベスト規制強化を背景に代替としてセピオライトに着目、スペインTOLSA社と提携して塗料分野中心に輸入事業を開始した。
導通信頼性評価システムは、基板上の回路や部品が電気的に正しく接合されているかを測定し、品質や信頼性の確認に用いられる。
1996
オゾン破壊係数ゼロ冷媒R404Aを採用した「HIFLEX V+1」を発売、環境対応を先導した。
1997
中国向け販売量の増加を受け、英語名「DISPARLON」と漢字名「帝司巴隆」で商標登録を行った。
化成品事業部は商社ビジネスの限界を打破するため、プラスチック樹脂容器を中心とした成形品の製造委託事業を開始した。
1998
電子機器の小型化や実装技術の進展で半田が「塗る」材料へ変化し、電子材料用添加剤の需要拡大を背景に研究開発を開始した。
草加試験所に続く、2番目の試験所として開設した。
操作キーを廃しパソコンで遠隔制御可能な製品として、業界初のネットワーク対応型環境試験器「キーレスチャンバーシリーズ」を発売した。
1999
2000
WTO加盟後に急成長する中国市場で「ディスパロン」の販売が拡大し、進出を検討。1998年頃から調査を行い江蘇省昆山市に合弁会社を設立した。
IECQ独立試験所認証を取得し、国際規格対応の受託試験体制を確立。草加試験所では原因究明型故障解析サービスを本格展開し、高い評価を得た。
2001
1998年より検討開始した、電子材料用添加剤を「PLAAD EDシリーズ」として発売した。
2001年から代理店会議を開催。情報共有と信頼構築、社員育成の場として継続発展している。
エタックを完全子会社化し、生産から経営まで一貫体制を確立。グループ経営効率を高めた。
エタック事業部とエタックエンジニアリング社が協同で取得した。
2002
電子材料用添加剤の少量生産設備を新設し、試作・実験製造機能を強化。開発力向上に寄与した。
山形試験所の増大する受託試験業務に対応するため、山形県東根市に100%出資の株式会社YKCを設立。
2003
中国昆山工場が竣工。日本の設計・技術を導入し、遅延を乗り越えて完成。海外生産体制の中核拠点となった。
竣工式を創業者楠本二郎氏の命日に設定し、「創業者の思いを再び蘇らせる」という願いを込められていた。
電子材料用添加剤の商標を改称。分散技術を軸にMLCCや太陽電池分野へ展開し、アジア市場で成長を拡大した。
2004
受託試験需要を見据え名古屋試験所を開設。後のみずなみ試験所開設へつながる重要なステップとなった。
2005
第4章 変革期(2006~2026)
2006
「製品と共に、楠本化成という企業をグローバル化する」を使命に4代目社長に就任した。
昆山工場設立を契機に楠本化成(上海)商貿有限公司を設立。対中輸出は2025年に前年比2桁成長、輸入も独自商材で徐々に事業化が進んでいる。
越谷工場製品の鹿島工場移管に伴い隣地に第2倉庫を設置し、保管体制を強化。翌年に設備増設し「ディスパロン6500」の輸出生産を開始した。
2007
ROYAL CASTOR PRODUCTS社工場で「NAMLON T-205」「同 T-206」の委託生産を開始した。
2008
2009
2010
受託試験所は草加・山形に加え名古屋・みずなみへ拡充後、黒字化に向け再編を実施。名古屋を統合閉鎖し、草加は山形とみずなみに移管のうえ2025年に閉鎖した。
2011
東日本大震災で鹿島工場は停電・断水に見舞われ、非常対応の重要性が明らかとなり、近隣の井戸水を確保し、自社用の井戸を整備した。
越谷・草加工場で設備損傷や計画停電が発生し、水やガソリン不足など社員の生活面にも大きな影響が及んだ。
本社ビルも被災し、老朽化を踏まえ解体・新築を決断。近隣ビルを仮移転先に取得し、新本社建設計画を具体化した。
2012
最新の環境性能とユーザビリティ、信頼性を追求し、「安心・快適・手間いらず」をコンセプトに設計した。
2013
インドROYAL社へ出資し関係を強化。「ディスパロン6650」など主力製品の生産をインドへ移管し、世界市場でのコスト競争力を高めた。
2014
新本社での業務を開始。交流空間を備えた開放的で快適なオフィス環境を実現した。
2016
2015年、東南アジアのハブ工場を設立するタイプロジェクトを始動。技術講習メンバーを派遣し、鹿島工場を基に設計。現地環境にも恵まれ円滑に推進した。
2017
2010年代に鹿島工場へ生産を集約し、越谷工場は用途転換。地下タンク撤去後、物流再編により埼玉物流センターを開設、草加倉庫は業務終了した。
首都バンコクから1〜2 時間の立地である東部チョンブリー県の工業団地内に建築竣工、業務を開始した。
当社の湿潤・分散技術が評価され、2016年にOCSiAl社から打診を受け、国内販売権や供給・配合権の契約を締結した。
「楠本化成駅伝部チームG」として企業対抗駅伝東京大会に参加。皇居周辺で練習を重ねつつ、マイペースでランニングを楽しむ社員も在籍している。
2018
CNT事業推進室は添加剤事業部長直轄組織として発足し、技術は分散技術担当、営業は電子材料向け分散剤担当を中心に構成された。
2017年にWeiss Technik社と協業の打診を受け翌年提携。欧州規格対応試験器の独占販売と技術交流により、保守力や競争力を強化した。
2019
草加第2工場が単層カーボンナノチューブ専用工場として稼働し、「TUBALL™」製品展開を進めた。
代替フロン(HFC)を規制対象に追加した、2016年の「モントリオール議定書」の改正に対応した。
2020
商事部門は商材発掘と技術支援型営業で成長し、総代理店化や新分野展開を進めている。
2021
2022
単層カーボンナノチューブは再凝集しやすく最適な分散剤が不可欠なため、当社分散技術を活かし、TUBALL™を原料とした分散体「Lamfil」を開発し販売を開始した。
2023
障がい者の方々が安心して就労できる屋内型農園で支援を開始。収穫した野菜は全事業所に配布し従業員にも喜ばれている。
受託試験需要増を受け設備を増強し、2023年にISO/IEC17025対応試験所としてJAB認定を取得した。
2024
2025
2024年から草加第2工場がフル稼働。需要拡大を追い風に、2025年にはCNT事業が事業本部へ昇格した。
二次電池評価を中心に受託件数が増加していた山形試験所で対応力強化のため第二試験所を開設した。
山形・みずなみ試験所への段階的移管を進め、原因究明型故障解析サービスの移管完了をもって草加試験所を閉鎖した。
2026
創業100周年を記念し、NASCARドライバー古賀琢麻選手と協賛契約を締結。2026年シーズン全約20戦でスポンサーとなり車両に社名ロゴを掲出する。
中国は規制で不透明感が残る一方、インドは好調、タイは直販体制へ移行し次の成長段階へ踏み出した。
研究所老朽化に伴い新研究所建設計画を開始。安全性や効率、実験環境、セキュリティの向上を図り、カーボンニュートラルや新規添加剤開発の中核拠点とする。
添加剤需要拡大に対応し、鹿島工場のアマイド系設備を更新。本製造棟の増築完了により、草加工場A棟解体に伴う生産移管を完了する。
2024年5月、老朽化した旧・別館を解体し新棟建設を開始、5月に開所式を執り行う。